【ボヤ記】僕が死ぬまでには『安楽死』の導入も検討してほしいって話

ボヤ記

元気な内に死にたい・・・

個人の意思の尊重が問われるな・・・

 

先日親戚のおじさんの葬儀に出席してきた。

 

僕もそれなりの歳なので、葬式に出席した回数もそれなりになった。

 

人が亡くなるのはとても悲しくて、ばぁちゃんが亡くなった時は1日中泣いていたのを覚えている。

 

今回は『葬儀』で親戚と話してちょっと感じた事の話。

最後まで生きようと頑張っていた

亡くなったのは父方の親戚のおじさんだった。

 

僕は小さい時に数回しか会った事が無く、病院に入院されたと聞いた時に家族で一度お見舞いに行ったのが最後だった。

 

僕が会った時は身体にたくさんチューブが繋がれており、食べる事が難しい為、流動食を鼻からチューブで胃に送っている状態だった。

 

最後は意識もあまり無い状態が続いており、胃ろう?という方法で食事をとっていたとかいないとか聞いた。

 

通夜・葬式と両方とも出席した。

 

故人を偲んで親戚一同で食事をした時、亡くなる前のおじさんの話になった。

 

長い事寝たきりの状態だったそうで、親戚の方はそんな話をしながら泣いていた。

 

もっと生きて欲しかった・・・せめてあと2年・・・1年でも・・・

 

皆が口々にそう言っていたのを覚えている。

 

確かにそうなのかも知れない。早く死んで欲しいなんて誰も思ってなかったとは思う。

 

しかしだ、僕は思うのだが、そんな状態で1年も2年も生きている事は果たして幸せなのだろうか?

 

僕だったらきっと早く死なせてくれと思うに違いない。死んだことないから分からないけど。

 

自分で食事が出来ない辛さ、自分で体を動かせない辛さは僕には想像できないが、きっととんでもなく大変で不自由な事だと思うからだ。

 

僕は精神的に弱い人間なので、それを乗り越えれる自信は無い。

 

自分の大切な嫁さんに、迷惑をかけたくない。

 

だからもし自分がそうなった時には延命処置はいらないので早く死なせて欲しいと願うだろう。

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安楽死の有り方

人間は、降りかかった不幸が自分じゃない場合は安易に『頑張れ』と応援してしまう生き物だと思う。

 

きっとおじさんにも親戚一同声を揃えて言った筈だ、『頑張れ』と。

 

じゃあなんだ、おじさんは今まで『頑張って無い』のだろうか?

 

ずーっと頑張って来たのではないのだろうか?

 

僕も仕事をやってて、あと少し頑張れ!』『もう少し頑張れ』と言われるが、今までだって頑張って来てる訳ですよね。

 

確かに、あと少しの努力や辛抱で報われる時だってあるだろう。そんな時は頑張って良かったなと思えるのかも知れない。

 

でも人生には『これ以上は頑張れない』って時だってあると思うのだ。

 

スポーツ選手が、頑張って頑張って頑張った結果、生涯で一度も1位が取れなくて、万年2位だったとしても、その人は紛れもなく頑張ってきた筈だ。

 

僕に同じだけの努力が出来るだろうか?おそらく出来ないだろう。

 

ならばそのスポーツ選手にかける言葉は何でしょう?

 

『もう少し頑張ろう』ですか?きっと違います。

 

『今までよく頑張ったね!』だと僕は思います。

 

親戚のおじさんの話に戻るが、人生を80年以上頑張ってきた人なんだから、最後の最後まで大変な思いをさせていいのだろうか?

 

きっと最後は本人の意思なんて無かったと思う。周りの家族が後1年、後2年という気持ちだけで『頑張れ!頑張れ!』と言ってたんじゃないかと僕は思う。

 

僕は人生でやりたい事はなるだけ挑戦して、最後は『お疲れ様』と言って看取って貰いたい。

 

賛否両論あるだろうが、今後の世の中の為には『安楽死』という選択も必要になって行くのではないかと思う。

 

『死』は突然です。

 

残された家族は遺品整理や財産整理にとても苦労します。

 

『安楽死』によって人生最後の日を予め決めることが出来れば『死』に対して準備が出来ると思うのだ。

 

ほんとね、突然亡くなった時ほどやる事いっぱいあるのよ、遺族は。マジで。

まとめ

いろんな考えはあると思うが、苦しんで生きるぐらいなら楽に死んだ方が幸せなのかなとも思う。

 

『我が生涯に一片の悔い無し』ではないが、いつ死んでも悔いが無いように生きるのは大切だと思う。

 

よっしゃ!今日の晩御飯は牛丼(並)だけじゃなくて。生卵とみそ汁も付けるとするか!

 

悔いなく生きねば!!

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